英雄の伴侶として幸福だったのは誰か…『西郷どん』の3人の妻…三者三様の生きざまに迫る

大河ドラマ『西郷どん』でにわかにクローズアップされている、西郷隆盛の結婚生活…。彼がその生涯で結婚した女性は3人。英雄として、反逆者として生きた彼の妻たちは、いったどのような生涯を送ったのだろうか?

3度の結婚…離縁と別離を繰り返す

『西郷どん』の3人の妻…三者三様の生きざまに迫る

2度めの結婚相手の、愛加那

 西郷隆盛は生涯で3度結婚しているが、最初の結婚は嘉永5年(1852年)、28歳のときだった。相手は親交があった伊集院兼寛(のち海軍少将・子爵)の姉・すが。この時期、西郷は江戸勤めだったため、いっこうに夫婦の時間が持てず、伊集院家とも相談して円満に離婚したようだ。そののち、安政の大獄が始まると、西郷は潜伏先の奄美大島で愛加那(あいがな)という女性と35歳で2度めの結婚。だが、やがて西郷は藩政に復帰し、愛加那は奄美大島に残され、のちに子どもだけを引き取られることとなる。そして、39歳のとき、16歳年下の糸子と結婚。上野の西郷像が「あの人とは違う」と言ったことで有名な彼女は、夫が西南戦争で戦死した45年後の1922年に亡くなっている。ちなみに、西郷がバツ2であったように、糸子も再婚であった。

西郷隆盛の子どもたちが辿った運命

『西郷どん』の3人の妻…三者三様の生きざまに迫る

3度めの結婚相手、糸子

 西郷隆盛には、奄美大島に残した愛加那との間に2人、糸子との間に3人で、計5人の子どもがいた。愛加那との間に生まれた長子・菊次郎は妹のお菊とともに西郷家本家に引き取られ、アメリカ留学を経て、父・隆盛の指揮下で西南戦争に従軍。戦闘で負傷し、叔父・従道(隆盛の弟、海軍大将)に投降。戦後は外務省に奉職し、京都市長なども務めた。ただ、彼は本妻の子ではないため、西郷家を継ぐことはできなかった。
 その西郷家は、西南戦争を引き起こした責任により、官位を剥奪され、しばらく不遇を囲うことになるが、1902年に侯爵家として華族に列席する。初代侯爵となったのは、隆盛と糸子の息子・寅太郎である。陸軍大佐でもあり、第一次世界大戦時には捕虜収容所の所長などを務めている。その後、西郷家は寅太郎の三男・吉之助が継ぎ、彼は佐藤栄作内閣で法務大臣を務めるなどしたが、暴力団と関係し、自民党を追われている。西郷隆盛の子孫に関して、あまり語られることがないのは、あるいはこの孫の悪名が原因なのかもしれない。