川崎【首都圏格差シリーズ】憧れの街の意外な現実

東京と横浜。2つの巨大都市圏に挟まれる川崎。ベッドタウンとして運命づけられたロケーションではあるものの、画一的で無個性なベッドタウンとは一線を画す強烈な個性も放っていた。
川崎といえば、かつては工場の街であり労働者の街だった。川崎駅を挟んで東西には巨大工場から町工場まで大小様々な工場が密集し、労働者のささやかな楽しみである酒場と競馬場と風俗街があり、安いアパートにも事欠かなかった。駅ナカや駅前にたむろするホームレスは、川崎のウラ名物でもあった。
いまでもその面影は残っているものの、かつてほど濃厚ではなくなっている。まず川崎駅の連絡通路や東口のアゼリアで見かけたホームレスの姿は、いまはほとんどない。平成16(2004)年に愛生寮(ホームレス緊急一時宿泊施設)が開設され、同時に川崎駅を根城としていた大量のホームレスが一掃され、その後も自立支援の名の下に駅前から追い立てられていった。幸区内にはまだまだ安アパートが点在しているものの、その近くには見上げるような高層マンションが建てられていたりする。昨今世間の風当たりが強い風俗街は、それでも堀之内や南町には健在だが規模は小さくなっている。これも時代の移り変わり。街はきれいになり快適になったことは間違いない。ただ、街の個性は失われつつある。

川崎駅東口は大型店が続々閉店中!

川崎【首都圏格差シリーズ】憧れの街の意外な現実

(Image:Tupungato / Shutterstock.com)

川崎駅東口は、駅前に大小いくつもの商店街が並び、大型の複合施設や商業ビル、飲食店が軒を連ねる。その中でシンボル的存在だったさいか屋が、平成27(2015)年に閉店した。開店したのは昭和31(1956)年。川崎が工業都市としての立ち位置を鮮明にしていった頃である。その後、バブル崩壊後の長年の不況の中で経営が行き詰まり、平成21(2009)年には川崎店の不動産が売却された。そして売却後もリース契約で営業は続けられてきたが、契約満了をもって閉店が余儀なくされた。平成29(2017)年夏に解体工事を終わらせ(現在は駐車場になっている)、新たな商業施設「川崎ゼロゲート(仮称)」を2019年秋頃オープン予定だと、パルコ(東京都豊島区)が発表した。ただ、建設費が高騰しているため、暫定的に2~3階建ての商業施設を建設し都心型の小規模ファッションビルになるとのこと。
市内唯一の百貨店だったさいか屋の閉店は、地元商業界や行政にとって少なからずショックを与えた。しかもそれに追い討ちをかけるように、平成30(2018)年1月には、川崎ルフロンの7フロアにわたって店舗展開していた丸井も撤退。街の新陳代謝は必要不可欠だが、街の顔といえる店がなくなると、雰囲気までもがガラッと変わってしまう。

川崎駅西口の成功が東口衰退の原因に

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(Image:Shutterstock.com)

商業地として繁栄してきた川崎駅東口の衰退が心配されるのに対して、西口は大型再開発によって変貌著しい。平成7(1995)年にオフィスビルのソリッドスクエアが誕生し、平成15(2003)年にはミューザ川崎、さらに平成18(2006)年のラゾーナ川崎プラザ完成で、デンジャラスな川崎駅のイメージは完全に払拭された。西口再開発の狙いは、工場の跡地利用と東口に対して寂しすぎる西口の活性化だった。その目的は達成され、いまでは駅改札を出て東口に向かう人よりラゾーナに吸い込まれていく人のほうが多いくらいである。
しかしこれが大成功かというと、実はそうとも言い切れない。駅直結の大型商業施設があることは地元民にとって大きなメリットである。だが当初の目論見では、市外も含めた川崎駅近郊以外からの誘客を狙って再開発が行われた。それは東口の賑わいを残しつつ、西口にも集客する前提であり、東口と西口の間で来訪者の流動性を持たせることで実現しようとしていた。ところが実際には、ラゾーナと客の食い合いになった丸井が、閉店に追い込まれる事態になっている。
結局、東京と横浜に挟まれた川崎が生き残る術は、川崎らしさを出す以外にないのだ。

文=

引用元:首都圏格差 首都圏生活研究会 (著)(三交社刊)

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