「NHK紅白歌合戦トリビア」17年間NHKを出禁になったあのアーティストや裸事件で苦情殺到など

クリスマスも終わり、今年も残すところわずかとなってきました。
年末の風物詩といえば、NHK紅白歌合戦ですよね。1951年から始まった紅白は、今年で70回目を迎えます。
そんな歴史ある長寿番組の紅白にまつわる、意外な歴史から誰かに話したくなるトリビアなどご紹介してきます。

大晦日にテレビ放送ではなかった!? 紅白の歴史

 紅白といえば「大晦日に家族集まってテレビを観ながら年越し」というイメージですが、始まりは「お正月にラジオ放送」という形だったのです!
 戦後間もない昭和20年、「紅白音楽試合」という名前で初めて行われました。当時はGHQの監視もあり、「合戦」という言葉は「戦争」と翻訳されることを懸念して付けられた名前なのだとか。
 一度限りだったこのラジオがとても好評であったことから、1951年(昭和26年)に「紅白歌合戦」として復活しました。その後、テレビ放送を開始するにあたり劇場を手配しなければならなかったのですが、正月はどこも予約でいっぱい。劇場の確保が困難だったため、大晦日にという今の形となりました。

知っている? 紅白トリビア

◎和田アキ子は赤組、白組どちらにも出場したことがある
通常、女性歌手又はデュエットの場合は赤組での出場ですが、2005年の紅白で和田アキ子は白組として出場。
この時m-floという男性ユニットとのコラボをしていた為に白組となりました。

 

◎選曲するのはNHK
出場アーティストのその年のヒット曲が聞ける!というわけでもないのが紅白。
曲を決めるのはNHK。実際に同じ歌を何年も歌い、もうこれ以上は……と出場を辞退した歌手もいたのだそう。

 

◎最高視聴率は81.4%
1984年までは80%前後という驚異の視聴率でした。
2000年代に入ると40%前後と落ちてはきましたが、それでも高視聴率番組と言えるでしょう。

生放送ならでは!紅白ハプニング!

◎紙吹雪で事故レベル
1981年、大トリだった北島三郎の歌唱中に降らせた紙吹雪が尋常ではない量に。
観客にまで降りかかる量だったにもかかわらず、本人の口にたくさん入るも動じず歌い切り、さすがといった貫録を見せつけたのです。
紙吹雪は3日もかけて大量に作られていたとのことでした。

 

◎ズボンのチャック全開で熱唱
1974年の森進一チャック全開事件。
この年、森進一はレコード大賞を受賞しており、受賞から急いでNHKの会場へと向かいステージに立ちました。
歓声とは異なる会場のリアクションに、途中で気付いて直したそうです。

 

◎裸事件で苦情殺到
記憶にも新しい2006年のDJ OZUMAの裸事件。
本人やバックダンサー達が服を脱ぎ始め、裸がプリントされたボディスーツの格好に。
パッと見は本当に何も着ていないように見えた為、その後苦情が殺到し、DJ OZUMAはNHKを出禁となりました。
出場前に「NHKに後悔させてやる」と発言していたその通りになったのです。
ちなみに、そのボディスーツはワハハ本舗からの借り物だったとか……。

 

◎派手なパフォーマンスで出禁
吉川晃司も出禁となった一人。予定時間をオーバーした上に、ギターに火をつけ、ステージにたたきつけ破壊するという度を過ぎたパフォーマンスにより、17年間のNHK出禁となりました。

 

◎長渕剛も出禁
1990年初出場を果たしたその時に、中継で歌う予定だった長渕剛。中継が繋がったと思ったら「NHKのスタッフは使えない」などの暴言を吐き、予定時間を大きくオーバーし他の演出者はカットせざるを得ない状況となりました。その後13年間のNHK出禁となりました。

 

生放送ならではのハプニングも紅白の醍醐味かもしれませんね。
何かと忙しい年末ですが、家でゆっくり紅白を観ながら年を越すのもいいですね。

※サムネイル画像(Image:beeboys / Shutterstock.com)

文=ざわみ/フリーライター

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