実は、Wikipedia(ウィキペディア)の記事がメチャ面白い! ミステリー記事ランキングBEST3

「あの言葉の意味は?」「あの人の生い立ちは?」といった辞書的な使い方から、「あの歴史ってどうなんだっけ?」といった教科書的な使い方まで、日常の“知りたい”を無料で教えてくれるWiki(ウィキペディア)。アナタも一度はお世話になっているだろう。Wikiの情報は必ずしも正しくないので鵜呑みにはできないが、暇つぶしに読むぶんには日が暮れるほど面白い記事も多い。そこで今回は、筆者おすすめの「Wikiミステリー記事ランキングBEST3」を紹介しよう!

(Image:ja.wikipedia.org)

【第3位】食事中に乗員全員が忽然と消えた!? 「メアリー・セレスト号事件」

 1872年12月、ポルトガル沖で無人のまま漂流していた一隻の船「メアリー・セレスト号」。第一発見者であるイギリス船「デイ・グラシア号」の乗組員らが船内を調べるが、誰一人見つからない。メアリー・セレスト号の乗員10名は、海上で忽然と姿を消してしまった。食べかけの朝食や、湯気が立ち上る淹れたてのコーヒー、火にかけたままの鍋を残して……。
 というのがあらすじである。いかにもミステリーなメアリー・セレスト号事件は、オカルトマニアの間では非常に有名な話。「乗員全員が謎の失踪、しかも食卓には温かい食事が残っていた」これは映画やドラマでもたびたびモチーフにされてきただけはあり、超常現象を想わせる不気味な話だ。しかし、残念ながら食事まわりのエピソードは後世に創作されたものであり、実際には食事など残っていなかったし、火にかけたままの鍋はなかったという。
 なお、1873年初め、スペイン沿岸に2隻の救命ボートが漂着。計6名の遺体が見つかったが、これがメアリー・セレスト号の乗員かどうかは謎のまま。仮にそうだったとしても、なぜ船から脱出し命を落とすことになったのか……証言者はいないため、真実は今も闇の中なのである。詳しくは→こちら

メアリー・セレスト号は、ニューヨークから出荷された工業用アルコールを積み、イタリア王国のジェノヴァへ向けて出航。乗員7人のほか、船長のベンジャミン・ブリッグズとその妻、娘の合計10名が乗っていたとされる(写真はWikiより転載)

 1959年2月、ロシアのウラル山脈オトルテン山を目指して雪山登山に出かけて行った男女9名。連絡がつかないことを心配した捜索隊は、凍てつく山中で無残な遺体となったメンバーと対面することになるのだが、その光景がなんとも異様だった。
 メンバーが張ったと思われるテントは内側からナイフで切り裂かれ、中にはすべての荷物が残っていた。2人の遺体はほぼ下着姿で木のそばに横たわっており、1人の遺体からは舌がなくなっていた。さらに、数名の衣類から検出されたのは高レベルの放射線だったというのだから、「いったい何が起きたのだ!」と、大変な騒ぎになった。また、よりによって事件が起きたのは旧ソ連領の奥深い山脈。さらに調査にあたった捜査当局が「9名は抗いがたい自然の力によって命を落とした」なんて発表したものだから、「ソ連軍の秘密実験を目撃したため口封じに殺された」といった説が流布されることに……。
 真相は今も謎のままだが、2020年7月、ロシアの最高検察庁はこの事件は「雪崩」が原因だったと結論づけている。詳細は→こちら

救助隊が発見したテント。内部からナイフで切られており、メンバーたちは慌てて裸足のままテントから逃げ出したという(写真はWikiより転載)

こちらがディアトロフ峠事件の犠牲者の慰霊碑。ちなみにディアトロフ峠とは、一行のリーダーを務めていたイーゴリ・アレクセーエヴィチ・ディアトロフから名付けられている(写真はWikiより転載)

 1828年5月、バイエルン王国(現ドイツ)ニュルンベルクの広場に一人の少年が現れた。16歳ほどに見えるその少年は、汚い身なりで手には手紙を握りしめ、何を聞かれても「ヴァイス・ニヒト(わからない)」と答えるだけ。筆談を試みた衛兵から鉛筆を渡された少年は「カスパー・ハウザー」と書いた。彼が手にしていた手紙はニュルンベルク駐屯地に勤務する大尉宛のもので、少年の名前、誕生日、そして「騎兵として採用してほしいが、手に余るようなら殺してくれ」と書かれていたという。
 謎の少年は孤児として市の保護を受けるが、噂を聞きつけた学者によって教育が始まった。その結果、カスパーは言葉を話せず、人間らしい常識が欠如していることが判明。脚全体が湾曲している状態だったこともあり「生まれながらに外部との接触を断たれ、暗い監獄に囚われていた」と言われている。
 その後、読み書きを覚え素養を身に着けることができたカスパーだったが、多くの謎を残したまま、1833年12月に正体不明の男に襲われ命を落としてしまう。発見からわずか5年。少しずつ過去を話し始めた矢先の出来事だった。カスパーとはいったい何者だったのか? そしてなぜ男に殺されたのか? ミステリー好きなら思わず興味をそそる実話である。詳しくは→こちら

こちらがカスパー・ハウザーの肖像画(1828~29年頃)。手には手紙を持ち、足が湾曲しているのが確認できる(写真はWikiより転載)

 いかがだっただろうか? Wikiで読めるミステリーは、どれも何となく着地点は見えているものの、まだまだ不可解な点も多い事件ばかり。あの日、あのとき、その場にいた人物だけが真相を知っている……。Wikiには、そんな心惹かれる極上のミステリーがたくさん隠されている。あなたもWikiでお気に入りのミステリーを見つけてみては?

※サムネイル画像(Image:Allmy / Shutterstock.com

文=ベア・グリコ/編集・ライター

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