会話をする時やメッセージを打つ時など、私たちは普段から特に深く考えることもなく色々な言葉を使いがちである。
しかし世の中には、安易に言葉を使うことにためらいを感じてしまう人もいる。
今回の記事では、そんな人たちから多数の共感を集めたツイートを紹介していく。
ツイート主は、作家・漫画原作者として活動しているRootportさん。
「理系の学部を出ると、文章の〝強調語〟が減る」
「というと?」
「たとえば『かなり』『とても』『非常に』みたいな言葉をタイピングするたびに、学生時代の恩師のスタンドが背後に立って『〝かなり〟ってどれくらい?』『その〝とても〟は数値化できる?』『〝非常に〟って何と比べて?』と囁く…」— Rootport 𝄇 (@rootport) March 2, 2022
学生時代は理系学問の研究をしていたというRootportさん。
卒業した今でも、強調語を使おうとする度に「恩師のスタンド」を背後に感じてしまうという。
ちなみにスタンドとは、漫画『ジョジョの奇妙な冒険』に登場する超能力が具現化した存在のことだ。守護霊のように持ち主の後ろについて物を変形させたり、幻覚を見せたりなどの特殊能力を発揮する。
では具体的に、理系の人々が強調語を使おうとする時は、どのようなことを考えてしまうのだろうか。
抽象的な言葉が安易に使えなくなる
Rootportさんが恩師のスタンドに出くわすのは「かなり」などの強調語を使う時だという。
確かに「かなり」「とても」「非常に」などの言葉は、受け取る相手によってその程度が変わる言葉である。
例えば「あの人はとても身長が高い」と言われた時、聞き手によって思い浮かべるその人の身長はおそらく様々だ。
ある人は180センチ前後を思い浮かべるかも知れないし、2メートル以上の人物を思い浮かべる人もいるかも知れない。
つまり一言で「とても」と言われても、受け手によってそのイメージは変わる。
強調語とは、実は定義が曖昧な抽象的な言葉なのだ。
それにも関わらず、多くの人は日常的にそれらの言葉を使っているし、それを使って的確に意思疎通が取れているということに何の疑問も抱いていない。
しかし理系学問の世界で言えば、定義があいまいな言葉を論文で用いることはある種危険行為である。読み手によっては研究の内容が覆ってしまうような間違った解釈をしてしまう可能性も出て来るのだ。
だからこそRootportさんの恩師も言葉の使い方には慎重にならざるを得なかったのだろう。
言葉のロジックが気になって仕方ない
ツイートのコメント欄では、他にも理系ならではの「気になるポイント」が挙げられていた。
「まさに」「まさしく」のような強調語も、巷で見かけるような使い方には違和感があるのだという。
曰く「まさに」などは「あるカテゴリーを代表するようなもの」に対して用いるのが正確な用法だが、実際にはその通りに使われていないこともあるという。
Rootportさんからすれば、「高倉健はまさに男である」という文はすんなりと受け入れられるが、「犬はまさに哺乳類である」は違和感のある文章だそうだ。
前者は「高倉健」が「男」の”タイプ標本(=生物学用語で、とある生物の種において基準となる標本)”であるが、「犬」は「哺乳類」のそれでは無い。
世の中のあらゆる現象の要因や定理を解き明かす、というのが理系学問の役割であるのだから、ロジックに当てはまっていないものを見つけてしまうと修正したくなるのもうなずける。
まとめ
理系学部出身者が、言葉の使用に敏感になってしまうのは仕方のないことである。
それは、接客業に従事している人が他の店の店員の態度を無意識にチェックしてしまったり、経理の仕事をしている人が数字に敏感になってしまったりするようなものだ。
学生時代から理系学問とは早々に縁を切り離した人もいるだろう。
このツイートは、そんな人々にとって理系の世界を覗くきっかけになったかも知れない。
Rootportさんが原作を担当する漫画『神と呼ばれたオタク』は、現在も好評連載中だ。
興味のある人は是非チェックしてみて欲しい。