NHK大河ドラマ『いだてん』感動秘話! 55年かけてゴールしたマランソン選手!

NHK大河ドラマ『いだてん』の前半は、日本人初のオリンピック選手・金栗四三(かなくり しそう)が主人公。金栗四三は初めて参加した1912年(明治45年)のストックホルム大会で、マラソン競技の最中に日射病で倒れてゴールしなかったため、「行方不明」として処理された。しかし、55年後に奇跡のゴールを果たすのである! 今回は日本マラソンの父とされる・金栗四三の知られざる感動秘話を紹介しよう。

金栗四三のマラソン初参加記録は「行方不明」?

 今年のNHK大河ドラマ『いだてん』の前半は、日本人初のオリンピック選手・金栗四三(かなくり しそう)が主人公だ。すでに放送では、初めて参加した1912年(明治45年)のストックホルム大会で、金栗四三がマラソン競技の最中に日射病で倒れてゴールできなかったエピソードが紹介されている。
 そもそも、大会期間中のスウェーデン・ストックホルムは白夜であり、多くの外国人選手が熟睡することができなかった。しかも、マラソン競技当日の気温は40℃に迫る記録的暑さで、参加者68名中33人が途中棄権。ポルトガルのフランシスコ・ラザロ選手が翌日に死亡するなど、非常に過酷な状況であったという。それにもかかわらず、金栗四三は競技当日の朝、不手際から迎えの車が来なかったために競技場まで走って向かう羽目になった。しかも、金栗四三は給水所で水分補給せず日射病で倒れてしまい、コース近くの農家で介抱されて翌日の朝まで目覚めなかったのである。結局、金栗四三は棄権の意思を示さないままゴールもしなかったために、公式記録が「行方不明」となってしまったのだ。

日本人が初めて参加したオリンピックは、1912年(明治45年)のスウェーデン・ストックホルム大会であった

ストックホルム大会の開会式。日本人の参加選手はたった2名。「JAPAN」ではなく「NIPPON」のプラカードを掲げていた

55年後に見事マラソンを完走した金栗四三

 ストックホルム大会で行方不明となった金栗四三は、その後、雪辱を果たすために1916年(大正5年)のベルリン大会を目指すが、第一次世界大戦で中止に。続く1920年(大正9年)のアントワープ大会では途中まで5位につけるも結果は16位、さらに、1924年(大正13年)パリ大会にも挑戦するが、結果は途中棄権で終わっている。そんな不運な男・金栗四三だが、数十年後に奇跡が起きた。
 1967年(昭和42年)、ストックホルム大会55周年を記念する式典が開催されたが、そのときにオリンピック委員会は金栗四三が「行方不明」のままとなっていることに着目。そこで、オリンピック委員会は55周年記念式典で金栗四三をゴールさせることにしたのだ。招待を受けた金栗四三が競技場のゴールテープを切ると、「只今のタイムは54年8カ月6日5時間32分20秒3。これをもって第5回ストックホルム大会はすべての競技を終了した」とアナウンスされた。これは近代オリンピックでもっとも長時間の競技記録となったのである。結局、金栗四三は、目標にしていた金メダルを獲得することはできなかったが、誰も破ることのできない大記録を達成したのである。

ストックホルム大会でマラソンコースになった町(ソレントゥナ)に設置された金栗四三の記念銘板
ⒸAh-Young Andersson

※サムネイル画像(Image: Iurii Osadchi / Shutterstock.com)

文=中川久/フリーライター

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